ムシャーマ その6【ミルクさん他プロフィール】

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2007年08月18日 00:09

「ムシャーマその5 道ズネー」で紹介した登場人物のうち、主役級3方のプロフィールです。


ミルクさん(2004年、大阪府在住上田さん撮影)

ミルク(弥勒)さん
 
 道ズネーの先頭に立ち、島に世果報(ゆがふ)をもたらすべく笑みをたたえた姿で実りを振る舞いながらゆったりと歩く姿には、心が動かされます。本土にある弥勒菩薩と同じで、ということはミルクさんの笑みはアルカイックスマイルなわけです。
 ミルクは波照間では女性、お供はミルクの子供と考えられています。喜舎場永王旬(じゅん)氏の調査によると、「1971年に黒島首里大屋子の大浜用倫が公用で上国の帰途、逆風に逢って安南に漂着し、折からの豊年祭で弥勒仏が出ていたのを見て、弥勒の面をもらって福州を経て沖縄に帰着し八重山に帰ろうとしたが、用事のために一便先に随行の百姓新城筑登之に自ら作詞作曲した弥勒節や新調した衣装などを持って帰らせた。用倫は遅れて帰る途中再び疾風に逢い、船は中国に漂着し客舎で没したという。筑登之は託された歌と面と衣装を登野城の部落民に伝えたのが、八重山の弥勒と弥勒節の始まりという」(滝口宏「沖縄八重山」校倉書房、1960)。
 ミルクさんと初めとする仮面儀礼は、東南アジアや中国南部に広く見られる習俗です。



ブーブザー(2006年)

ブーブザー

 3組とも長いヒゲを生やしたブーブザーという、ミルクの夫といわれている人物が行列の前後を跳び回り、道化の役を果たしています。沖縄本島のエイサーにおける京太郎(チョンダラー)、中国の獅子舞における獅子使いと動きが似ています。ブーブザーについて「波照間島のムシャーマ」(波照間民俗芸能保存会、1982)は「彌勒は女性で、ブーブザーはその夫君だといわれ、彌勒に離縁されてその姿で行列の前後を駆け回っているといわれるが、ブーブザーは行列の進行の調整役をするものである。ブーブザーはミルクより前になってはいけないといわれている。ミルクを女性で妻、ブーブザーを夫というとらえ方は、後の考え方であろう。ミルクは豊穣をもたらして下さる尊い神としての象徴であろうから、性別はないのは本来の姿であろう。やはりミルクを先頭に大きな行列を編成するので、ブーブザーの役を設定して滑稽さを加味させていったのであろう。村落の統率者の役を持っていて、ミルクに対比させるための演出であろう」としています。



シーシー(2002年、東京都在住石丸さん撮影)

シーシー

 シーシー=獅子は、多くは招かれざる精霊、無縁仏を追い払うためというところが多いようです。八重山では盆行事と結びついており、波照間では「シーシー」という笛のメロディに乗せて踊ります。着ぐるみ状になっていて中に2人入るものは沖縄全域で見られ、本土の布幕をかぶる独り舞いの獅子とは異なり、中国のものと似ています。ちなみに神戸の南京町などで春節の行事等で見られるアクロバティックな踊りは、本来的には中国ではなくシンガポールやマレーシアなどの華僑が始めたそうです。
 滝口宏「沖縄八重山」校倉書房、1960では、「獅子には獅子の棒といって棒遣いが出たり、ペイキソあるいはタイラクという一団の太鼓を打つものが獅子の前に出たりすることもある」と書かれています。現代はテークのほかパーランクの一団が入っていますが、この記述と関係するかもしれないです。
 現在、獅子舞は笛のメロディだけですが、「波照間島のムシャーマ」(波照間民俗芸能保存会、1982)の記載では、笛にあわせて歌が謡われていたようです。明治37、8年まで遡ると、獅子を山奥から誘い出すため大勢の部落民があらゆる楽器を鳴らしながら謡い踊ったといいます(玉木繁「琉球横笛考」那覇出版社)。

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