2007年08月22日

ムシャーマ その9【「五風十雨」とフサマラー】

ムシャーマ その9【「五風十雨」とフサマラー】
「五風十雨」と染め抜かれた旗頭(2003年、愛知県在住山さん撮影)

ムシャーマ その9【「五風十雨」とフサマラー】
ミルクンタマーが持つ「五風十雨」の幟(2004年)

ムシャーマ その9【「五風十雨」とフサマラー】
南洋土人踊りとフサマラー(2004年)

 前組の旗頭は、「五風十雨」と鮮やかに染め抜かれています。「五風十雨」とは、5日ごとに適度風が吹き、10日ごとに適度な雨が降ってくれることが波照間の耕作にとってありがたかったことから、島の願いの象徴のようになっている言葉です。04年に照島荘でTシャツを作った際、イクさんから孫や曾孫に着せるためぜひこの文字を入れてほしいというリクエストがあったくらいです。本土でも使われる言葉で、秋田県では地酒の銘柄にもなっています。

 川のない波照間で、天水は命にかかわる切実な問題でした。雨乞いや天水への願いは、島の民謡に多く謡われています。島のほとんどを占める琉球石灰岩の地層から地下水が硬水で飲料に適さなかったこともあり、今も各家庭には天水をためるタンクが設置されています。水が乏しかったころ、イモなどを洗ったあとの残り水を皆で待ち構えて、頭から浴びせて雨の降るのを願ったといいます(住谷一彦、クライナー・ヨーセフ「南西諸島の神観念」未来社、1977)

 また、仮面にツタの葉をつけた男女2人の神で、戦前は年3回行なわれるアミニゲーという雨乞いの行事で出て木の枝で子供などをおっぱらったといいます。現在のムシャーマで、西組から登場するフサマラーではないかと考えられます。アミニゲーの際、若い男性が植物をまといよごれた面をつけて拝所をめぐり、「このように顔がよごれているのは水がなくて顔が洗えないためだ」といって神に哀願する行事があったといいます(滝口宏「沖縄八重山」校倉書房、1960)。

 西組には以前から(1972発行の「波照間民俗誌」には写真あり)体を黒く塗った「南洋土人踊り」があります。雨乞いと関係があると思われるのですが、どなたか情報をお持ちであれば教えてください。(ムシャーマその5【東組の道ズネー】でyuduamiさんが貴重なコメントをされていますので、ご参照ください)

 フサマラーや南洋土人踊りと同じように植物をまとう儀礼には、豊年と無病息災を願う沖縄本島北部に多い「シヌグ」や宮古島の「パーントゥ」などがあり、他の東アジア地域でも見られる習慣とか。これらは一般的に魔除けの意味合いが強いというが、波照間でも子供を追ったりするあたり、魔除けの意味もあるのかもしれません。


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Posted by We are OKINAWAN-KOBE at 18:41│Comments(0)ムシャーマ
 
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